| 10・20戦争阻止労働者国際会議
イラク・アフガニスタン戦争が7年目に入った現在、アメリカや世界中で労働者人民の戦争反対の闘いは、ますます大きくなり拡大している。月に幾千人ものイラク民衆が殺戮される中、相次ぐ派兵という「怒濤」戦略は、ペンタゴンの将軍どもの大失態に帰してきた。2003年3月のイラク侵略戦争前に、それに反対してイギリス、イタリア、スペインでは数百万人がデモに立ち、アメリカでは数十万人が街頭に出た。しかしそれでは侵略を食い止めることが出来なかった。アメリカでは、この「対テロ戦争」は、港湾労働者に対する切迫するTWICカードの所持強制のように、市民的自由と労働者の権利に対する大規模な攻撃を意味していた。そして戦争は続き、民主党と共和党はそれに賛成の投票をし続けている。 ベトナム戦争に時、歴史家アイザック・ドイッチャーは、1つのストライキはすべての平和的デモよりも有効であると言った。フランスの港湾労働者は、マルセイユ港でストライキに立ち、ベトナム戦争の終焉に貢献した。この血塗られた植民地支配を終わらせるために、労働者はその力を使用せねばならない。 時計は時を刻み、我々がウォーターフロントで叫んでいるように、今やその終焉を呼びかける時が来た。戦争マシンを中断に追い込む労働者の行動は、その期限をかなりすぎている。イラク侵略に突き進む過程で、ブッシュは港湾の安全保障に言及し、民主党の支持の下で海運会社グループのPMAと共謀し、ILWUに対し奴隷労働のタフトハートレイ法を発動した。しかしながら、その発動のちょうど1週間前、PMAが港湾労働者をロックアウトしアメリカ西海岸のすべての港湾を操業停止させても、ブッシュは何の行動も起こさなかった。2003年4月、反戦活動家たちがオークランド港の戦争貨物輸送会社であるAPLとSSAにピケットを張って闘った際、警察はピケッターと港湾労働者に対し、「致命傷とはならない」武器様のものを撃ち込み、6人のILWU組合員など多くの人々に重傷を負わせた。我々は自らの権利を踏みつけられるままにしておくことを拒否し、オークランド市を提訴し勝利した。その1ヵ月後に、反戦活動家がオークランド港にデモをかけ、すべての船積みを停止させることで、民主的権利を重ねて確認した。本年の5月、反戦活動家とオークランド教育連盟(OEA)が再びオークランドの戦争貨物輸送会社にピケを張り、港湾労働者はそのピケラインを尊重し決して越えなかった。これは闘いの始まりに過ぎない。 昨年、ローカル10は「反戦ストライキを!平和なくして生産なし」とする決議を挙げた。この動議は、1978年にローカル10が、チリのピノチェット独裁政権への爆弾輸送を如何に拒否して闘ったかを想起させ、帝国主義支配のための戦争に反対するILWUの誇り高き歴史を際立たせるものであった。1980年代には、南アフリカで労働者が、白人至上主義支配を打ち破る戦闘的なストライキに立っている時、ベイエリアの港湾労働者は、ネドロイド・キンバリーの荷扱い拒否(ホット・カーゴイング)をもって、南アフリカの人種差別奴隷制への反対を際立たせた。 今、ILWUローカル10と34は、具体的な行動計画を徹底的に討論するため、「戦争阻止労働者会議」の開催を呼びかけた。いい加減にしろ!と声を出そう。2大政党的、超党派的な戦争政党から独立して、資本家どもの戦争に反対して労働組合の力を使用する正にその時が来た。ILWUは再び闘いの先頭に立つ。だが戦争反対の行動は、港湾に限られてはならない。我々は、サンフランシスコ・ベイエリアの労働組合そして全国の労働組合に、この会議に参加し、職場生産点での集会、街頭への労働者動員、そして戦争に反対するストライキ行動への着手を呼びかけるものである。 場所:
ILWU ローカル10/400 ノースポイント通り サンフランシスコ カリフォルニア |